帰ってきたみふ子の真夜中日記

ちんちんついてる爆乳抜き屋さん。全身課金500まん。一部R18

トランス女性、「存在すること」の脆さと強さと

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わたしが許せない人々


今回の論争でトランス女性に対して矢を向けているアンチトランスの方々には大きくわけて2種類いると思っています。

(1)トランス女性の存在を認めつつ、「パス度の低いトランス女性のトイレ利用」や「未オペのトランス女性の女湯利用」にたいして、「女性の安全」のために懸念を示す方

(2)トランス女性をひとまとめに「男体」「Y染色体」と見なすことで、トランス女性そのものの存在を否認する方


これまでの日記を注意深く読んでくださった方ならわかっていただけると思いますが、わたしが全力で抵抗するのは(2)の"否認派"であって、(1)の方ではありません。というか、正直、わたし個人としては現実の方針においてはじめから(1)の方との意見の違いはないのです。

しかし、(1)の方も多くは"否認派"の意見をRTしたり、引用したりしている以上、やはりその本音は"否認"なのではないかと疑心暗鬼に陥っている、というのが今回声をあげたり痛みを訴えているトランス側の実情ではないでしょうか。

トランス否認派は時計の針を逆回しし、トランス女性を「女装した男性」「女性ホルモンを投与した男性」「ペニスを切り取り人口膣を作った男性」にしようとしている。そうなればなぜお前たちはわざわざそのようなことをしているのだという問いが飛んでくるのは  必然です。その問いは、コミュニティの内圧が強い場所ほどより当事者の首を締め付けていくことでしょう。これが"否認派"の望む世界です。

それはわたしたちにとって文字通り命に関わってくる死活問題です。わたしたちは就職面接で、学校で、病院で、災害が起きた際の避難所で、なんなら刑務所で、問われ続ける。髪を切られ、ホルモン剤を奪われ、抵抗を示せばコミュニティや職場から排除される。場所によっては暴力によって生まれながらの性を強制される。街を歩いていれば「変態性欲者」と指をさされる。それはいまインドネシアその他で起こっていることです。このような環境で当事者が生き抜く唯一の方法はたった一つ、完全にパスして完全に埋没することですが、しかしその埋没者にしても常にリードの恐怖に怯えながら、喉に刃を突きつけられた状態で生きなければならない。

わたしは"否認派"の強い言葉を目にして、将来に絶望し死を考える、若い、心の弱い当事者がいてもそれはおかしいことではないと思っています。だから"否認派"には抵抗せずにはいられないのです。

絶対に、絶対に、絶対に!!!


「現実に存在すること」の強さ


わたしのトランス女性の女性専用施設利用についての個人的な考えは最初の記事ですでに述べました。その考えには当事者の間でも異論はあろうかと思います。その異論の中にはわたしから見ればあまりにも理想的なものも、正直に言えばあります。しかし今は当事者間で論争している時ではありません。"否認派"は時計の針を逆回しして、トランス女性を「おかま」の身分に堕とそうとするものです。

しかし、トランス女性には強さがあります。「現実にすでに存在している」ことです。わたしたちはさまざまな手段で(ホルモンで、整形で、性転換で)トランスして生きようとしているのです。

少なくとも民主主義的な国家では「現在にすでに存在している」人間集団を殺すことは許されていない。わたしたちは様々な圧力を前にして、無条件で、このように叫ぶことができるのです。

「わたしたちは存在している。殺すな!奪うな!」と。