悲しみを伴侶として
長い旅がはじまる。
夜行バスの中で、SNSの日記にそう綴った。ずいぶん昔の話だ。
当時、わたしは実家での引きこもり生活と精神科通い、アルバイト生活を経て再び上京するところだった。
アルバイト先の人間関係は良好で、同僚たちが最後にお別れ会を開いてくれた。出発の数日前のことだ。
「ぶっちゃけ……本当は女性になりたいの?」
「うん、実はそういうことで……」
「ゆくゆくは取っちゃうの?」
「それはまだ、わからない……」
実際それはあらゆる意味で遠すぎた。髪を伸ばし、ホルモン剤は個人輸入で手に入れていた。中性的な服装を好み、GIDの自助グループにも顔を出し、オペ済みの当事者からも話を聞いていた。でも手術費用や社会適応のことを考えると、気が遠くなるようだった。
ともあれ、その時のわたしはまだトランスの入り口に立ったばかりだった。トランスという長い旅の。
そもそも男性から女性になることなんてできるのか、女性になるとはどういうことなのか、女性として生きるとは?
これはトランスジェンダーに懐疑的な考え方を持つ人々のセリフではない。その時わたしが綴っていた日記の一部である。
仮に手術ができたとして、子どもを産む身体になるわけではないのに、少女として育った経験がないのに、女性になることなんて、みなされることなんて、可能なのだろうか?
それらのクエスチョンマークは長い旅の途中にある今もわだかまり続けている。ただし問いとしてではなく、解決不能であるがゆえに永遠に付き合っていかざるを得ない、ひと塊の悲しみとして。
悲しみを伴侶にしてわたしは旅を続けている。
※
昨日の続きとしての今日がはじまる。
長い旅の途中経過はこうだ。
わたしはあれから東京で3度引っ越しをし、アルバイトと飲み屋の仕事を経て、風俗店で働いている。半年ほどで辞めるつもりがズルズルと続けることになってしまった。その間に豊胸手術を1回、顔の整形を3回した。これらに費やした金額の半分でSRSはできたはずだった。なぜそうしなかったのかは色々と理由はある。でも、うまく説明できる自信がないので今ここではしない。
わたしの運転免許証を誰かが拾ったとしても、その免許証の持ち主を男性だと思う人はおそらくほぼいない。裁判所で氏名変更の申し立てが認められたからだ。このことはわたしのQOLの向上に大きく役立った。
出勤するためにはシャワーを浴びて、それからメイクをしなければならない。わたしは今の仕事をそれなりに愛しているし、おそらくはプライドとか矜持とかいうものも多少なりとも持ち合わせている。でも、この出勤のためにシャワーを浴びる決心がなぜかどうにもつかずかなり重めの憂鬱を感じる時がある。これがセックスワークの性質と関係があるかはおそらくは辞めてみないとわからない。
この仕事をそれなりに愛している理由は、誰かに必要とされることで、誰かに身体を欲望されることで、あのひと塊の悲しみが少しだけ何か温かいものとなって溶け出すのを感じるからだ。子どものころ、わたしは同級生から毎日服を剥がれて、教室の隅で裸にさせられていた。いまと同じだ。ただし、あの頃は泣いていたけど、今は微笑んでいる。
そのようにして、ひと塊の悲しみを伴侶として、旅は続いていく。どこに辿り着くかは、まだわからない。
今日が終われば、また、明日がやってくる。