帰ってきたみふ子の真夜中日記

ちんちんついてる爆乳抜き屋さん。全身課金500まん。一部R18

「トランス女性論争」とトランス女性のわたしの生活

最近ストレスが半端ない


えーと、昨日もホストに行ってトイレでゲロゲロ吐いて、ホストの膝枕で寝ていました。あ~はいはい所詮あたしはおかまですから~とか言ってたような気はするが、記憶はあいまい。はい、シャンパンもあけてギャラ見事に飛びました。この仕事やってて貯金できないのマジで意味ねえ~~。

ほんと最近ストレスが半端ない。いや仕事じゃなくて。ツイッターふつうに見てるのがストレス。みなきゃいいんだよな、見なきゃ。アカウント閉じた方がいいかもしれない。


ああ、わたし、ヘルスやめたらどうやって生きていったらいいんだろう。性転換できたならともかく、もし罷り間違って爆乳と陰茎ぶらさげた正体不明な中年としてシャバに放り出されたら。そのことを考えたら死にたくなっちゃって。

「あれ、あの子ってどこ行ったっけ」「いきなりいなくなったね」「自殺したのかな?」

そういう会話がナチュラルになされる世界に、あたしはいま、生きている。


今回の論争はどこから生まれ、そしてどこに行くのか


ところで、現在、ツイッター上でなされているトランス女性を巡る論争ですが、みなさん何がきっかけかを把握してないような気がするのです。かくいうわたしも正確には把握してません。あやふやなままいつのまにか拡大していく論争。まるで応仁の乱とか第一次世界大戦のようです。

この論争のきっかけは、トランスジェンダーに関わるなんらかの法改正がなされたとか、MtFを名乗る女装男性が女子トイレでレイプをしたとかそういう具体的なニュースではありません。まあ、きっかけのきっかけとしてお茶大のトランス女性受け入れの話があったかなあという程度。そしてこの論争が何を目指しているのかも、誰もわかりません。はっきり言ってこの論争は現実世界にはトランス当事者、とくにMtFを傷つけ、重圧を与えること以外に何の機能もないように思えるのです。

実際、この論争があっても、わたしは無用な混乱を避けるために女子トイレの個室を利用しますし、全裸を晒す女風呂は引き続き利用しません。個室となっているジムの更衣室は女子側を使います。これはジム側の了解を特別に頂いたからです。

いや、この論争の機能がもう一つありました。いわゆるTERFの方々がSNSで大声を張り上げることで、このような施設側の判断が変わる可能性があります。

うんざりするほど念を押させていただきますが、トランス女性の女性専用スペースの使用可否の判断は施設側が行うはずであって、トランス女性ではなく、まして世論でもありません。銭湯に関しては性器の形状で判断され、そしてそれに異論を唱えるトランス当事者はきわめて少数であることはすでに述べました。しかし個室となっているジムの更衣室、シャワー室は?たとい顔を合わせることがあっても、完全に服を着た状態であるといった事情は女子トイレと同じです。こうしたきわめて微妙なケースは施設側の個別の判断ということになるのですが、SNS上の論争はこの「個別の判断」に影響を与える可能性があるのです。実際わたしもジム側から「ほかの利用者からクレームがあった場合には変更が行われる可能性がある」と通達されています。1年以上何も言ってこないので、おそらくクレームはないんでしょうが。

こうしてみると、今回の論争は世間に遠慮しながら生きているMtFを傷つけ、追い詰める方向にしか働きません。この議論は現実の法制度や慣習を動かしません。ましてセクシャルマイノリティーの理解促進にも繋がりません。なぜか、わたしを含む多くのMtF当事者が「未オペで女風呂に入れないのは当たり前。というか入りたくない」「ペニスをぶらさげて風呂に入ってくる奴は逮捕しても良いと思う」と言明しているのにも関わらず「女湯問題」は燃え盛り続けるのです。



戦火を煽っているのはだれか


わたしはこのようなツイートをみました。

『「女性扱いしろ」という訴えの中には、それらの身体化させられたものを含んでないと思われるんですよ。それってものすごい腹ただしいですよ。それらを無視した上での「女」とはなんなのかと思います。」』

『「女」をポルノやポップカルチャーで見るような若く、かつ性的で着飾ったものとして、それを自分でやってみたいという性的ファンタジーなら勝手にやってればいいが、だからそれで「心は女」とはならないよ。だって、女はそんなのじゃないもの。女を性的な対象物としか捉えられないミソジニーを、虹色のカバーで包み込むと学者様もみんな「先進的だ!」と崇め奉るのだからこりゃいいね。あばば。』

『加害性のある体に生まれたくなかったという願いを、専ら加害される体に生まれたくなかったという願いを持つ人間に聞かせて同意させたり罪悪感を引き出すことのグロテスクさ』

これらはトランス当事者の存在、トランスの「否認」を試みてるコメントとしか言いようがありません。しかもこれらのコメント主がトランスジェンダーに詳しいとは、少なくとも多様な見解に通じているとはわたしには思えないのです。最初のコメントの方などはこのあと FtM当事者のツイートをシス男性の意見と勘違いして「安全圏から何を言ってる」とイチャモンをつける体たらくです。

わたしはこれらの方を""否認派""と名付けています。今回、女性専用スペース問題を盛んにいうTERFと呼ばれる方の中には「性転換したら別」とか「性同一性障害の方は別」「怖いのはトランス女性を偽る女装した男性」というコメントが見られますが、このようなツイートをRTしてるような人の本音はその実いったいどこにあるのでしょうか?

わたしはわかっています。残念なことにトランス女性が存在することそのものが許せない人たちがいるということなのです。あの人たちは盛んに「生活」「安全」をうたいます。しかしわたしは問いたい。あなたがわたしのことを嫌いなのはわかっている。それはいい。しかし遠く離れた場所で、あなたとは全く関係のないところで、安全な生活をトランス女性が営むことの何があなたの安全や生活を脅かすのかと。しかしあなたは女性とは、女性の定義とは、と問うてくる。それはあなたの「生活」や「安全」に必要なのでしょうか?