帰ってきたみふ子の真夜中日記

ちんちんついてる爆乳抜き屋さん。全身課金500まん。一部R18

Transition is Real

※わたしは全然知らなかったんだけど、トランス女性(?)はこの世界で絶大なる権力を持っているらしい。

 

こんにちは。みふ子です。

祝!ツイッター復活(@Mifuko3_xoxo)!

ということで威勢のいい投稿をひとつしてみたいところではあるんですが、まあ、ツイッター言論の状況は相も変わらずということで、いまだに一部の人々が風呂とトイレの話をしていることにあきれ返っています。そんなわけで、「いや女性のセーフスペースが!」とかおっしゃる方はぜひこちら、実に二年前に書かれたこの記事(https://kuroimtf.hatenablog.jp/entry/2018/12/28/202941)を読んでいただきたく思います。

ところで、一部の人々の視界の中では、虎ンス女性、なかでもTRAと呼ばれる勢力がこの世で大変な隆盛を誇っているらしく、なんでもただただ女装して、いや女装すらしなくても自分が女だと主張すれば女性と認められ、女風呂に押し入ることもできて、それまで入っていた人たちが通報できなくなる世界に近々なるらしいです。

正気なんですかね、まあそれはいいや。

 

ともあれ、そこで一部の人々はこう叫ぶわけです。Sex is Realと。

なるほどSexはRealかもしれない。とりわけ自分の身体的性別がゆえの困難を呪詛してきた人からすればSexなど幻想だという考えはきわめて愚弄的なものにも見えるでしょう。それはその通りです。

しかしわたしからすればTransition is Realなわけです。

逆に伺いますが、Sex is Realが真なら、Transition is Fakeなのですか?違うでしょう。

わたしがTransitionをはじめてからの月に数回のホルモン注射、身体の変化、メンタルの乱れ、そして移行初期に様々な心ない言葉をそれまで近しかったはずの人々からも受け続けてきたこと、トイレを我慢しなくてはならなかったこと、昼職のバイト先で受けた様々な理不尽、氏名変更の手続き、整形手術のダウンタイムの痛み、そして性的な被害にあったこと、すべてがRealなはずです。

ただこのようなことを言っても、Sex is Realを叫ぶ人はまだ納得しない。性別別スペースの問題と、そもそもジェンダーをトランスするとは?の問題がまだ残っている、そうですよね?

ジェンダーをトランスするといったときのジェンダーが非常に差別的な価値観に基づいたもので、したがって、Transitionの中で受けた差別は自業自得のものであると。性別別スペースの困難においても同様であると。

わたしは非常に不思議に思うのですが……

あなたがわたしたちについて考えているようなことが、どうしてわたしたち自身がすでにみずから考えてないと思えるのでしょうか?そしてわたしたちのひとつひとつの生が、すべてあなたの想像の範囲内におさまると?

 

※どうしてそれを当事者本人が考えたことがないと思った?

 

それで最初の話に戻るのですが、当事者の多くがTransition is Realのエピソードを出し、またその姿をさらけ出しているのにも関わらず、結局いまだに「着ただけ女装」とか「今日だけ女」とか「宣言しただけ女」とか「自称しただけ女」の例を出すのは、それによってTransition is Realを部分否定し、かつ安全性を引き合いに出すことで、一トランスのTransitionがRealであろうとFakeであろうとFakeとみなさなければならない、という結論を導くためのものでしかありません。

しかし何もそんな極端な例をあげなくても、すでにこの社会はそのようにできているので、現行法では性別適合手術をしなければ法的には女性にはなれませんし、大浴場に入ることも(男性用も女性用も)難しいですし、見た目が移行後の性にある程度一致していなければたとえ戸籍変更後であっても日常生活の中で完全に女性とみなされることも難しい。そんなことはほぼすべてのトランス女性は身をもって激しい痛みとともに理解しているのです。そのトランス女性をつかまえて、「お前と女装した性犯罪者は見分けがつかない」などというのは端的に言葉の暴力なのではとわたしは思います。まあ個人的にはネット上でそれ言われたら、お前あたしのこと見たことないくせにバカじゃねーの(笑)ってなりますけど。

現行法では性別適合手術をしていないトランスジェンダーの位置づけはありませんし、(以前、同業者が殺されて山中に埋められた時はニュースで「豊胸手術の跡がある男性の遺体」と呼ばれていました)また、性別適合手術を行ったあとのトランスのアウティング禁止などの人権保護規定もありません。で、ある以上、トランスは法的には現状圧倒的な弱者であるわけで、その現状を踏まえながら、自分の使うべきスペースをその都度判断したり、あるいは使用そのものを控えたり、性犯罪にあっても通報できなかったりという現実をしたたかに生き抜くしかありません。

そういった存在を陰謀論を交えて何か巨大な力を持った存在であるかのように語り、脅威を煽るのは、ほかのあらゆる差別問題でもよく見た景色、と言わざるを得ないのです。

 

※トランスの動機?忘れたw

 

で、もう一つ。トランス女性がトランスする動機はそもそも女性差別的なジェンダー観によって行われた、というものなんですが、これは「ジェンダー撤廃」派かよく言ってることですね。ところでジェンダー撤廃派の人たちはそれを人口比としてめちゃくちゃ少数派なトランス女性に言う前に、この社会を形作っているすべてのメディアやこの社会の成員たる非トランス男女にも言ってほしいと思うんですが、言わないですよね。まあいいや。わたし自身としては理念としてジェンダー撤廃には賛成ですよ。理念としては。

さて、わたしがどういった動機で、女性ホルモンを打ち出し、女性よりの表象で生き始めたか?実はそんなことはわたし自身もわからないんですよ。いや、動機はあったかもしれませんが、忘れました(笑)ただこのままの姿で人生を終えたくない、とか、この身体が嫌だという気持ちはありました。だが世の中にはそういう思いをかかえたまま様々な理由で身体の移行をあきらめた人もいる。わたしとその人の違いは、正直わたし自身もわからない。

そして、身体や生活が変わるとともに、周囲との関係、社会との関係は着々と変わっていく。その中で自分の身体への思いも微妙に変わっていく。もちろんお仕事のこともある(このお仕事をしなかったらこんなクソ重たい乳なんてつけなかった。めっちゃ痛い思いして、高いお金を出して)わたしがトランスしているという前提で周囲の物事も、わたしも動いている。本名も変わってしまったので、もうこの世に存在しない元の名でわたしのことを呼ぶ人はいません。家族以外は。

その中で、なぜおまえはトランスするんだと聞かれたら、

「これまでトランスし続けたから、トランスし続けるだけ」

と答えるほかなくて、そもそも生きた人間のリアルの生活とはそういうものではないかと、わたしは思います。ですからまあ、ジェンダー撤廃主義の排除派の皆さんに言いたいことは、個々人のライフヒストリーをあんまり馬鹿にしないでよってことですね。

 

このテキストはすべての人に開かれています。いかようにでも解釈してくだされ。