帰ってきたみふ子の真夜中日記

ちんちんついてる爆乳抜き屋さん。全身課金500まん。一部R18

トランス性が""シス=システム""の中で生きるということ

※突然の高熱、そして入院


その日、わたしはいつものように昼前に起きました。妙に身体がポキポキする感覚がありましたが、前日お仕事が忙しかったのでそのせいだろうと思いました。さて、シャワーを浴びて……と立ち上がろうとしたその時でした。いまだ経験したことのない激しい寒気が全身を襲ったのは。

お布団にくるまって歯をガチガチ鳴らしながらお店に欠勤の連絡をいれました。これはただ事ではない、と思いつつも、身体がいうことをききません。知人になんとか電話が繋がったので助けを求めました。そして最終的に彼の車で近所の病院に担ぎ込まれることになったのでした。

体温計は40.4度を示していました。わたしは歩くこともままならず、処置室で横たわるばかりでした。朦朧とした意識の中で、数人の看護師さんが話し合っているのがわかりました。そしてその中で一番年上と見られる女性が話しかけてきました。

「黒井さん、黒井さん、お話大丈夫ですか?」

「……はい」

「先生も仰ってたんですが、症状ちょっと大変ですし、検査もあるので、これから入院していただくことになるかと思うんですね」

「……はい」

「それで、ごめんなさい、最初に保険証を拝見してビックリしたんですが……あなたのような方ははじめてで……」

「ええ……」

「男性用の病棟はお嫌ですよね……」

「ええ…….できれば……」

結局、わたしは個室病棟に入ることになりました。個室病棟に入院するとなると、入院費が心配になりましたが、後で請求書を見たところ個室の費用は請求されていなかったようです。ただ、他の病院だったらどうなるかはわかりません。トランス性は入院するだけで一悶着です。

わたしにはシリコンで作った大きい乳房と女性ホルモン注射で形づくられた筋肉と脂肪があります。それを男性用の病棟にいれるのはまずいだろうというのが病院側の判断だったのでしょう。ただしこの判断はきわめて恣意的なものです。もし、これで個室病棟の費用が加算されていたなら不当なことだと思います。さいわい、わたしは追加料金なしで個室での入院生活を送ることができたのでした。

熱がようやく下がりはじめた3日目、わたしの個室に担当医がやってきました。そして、驚くべきことをわたしに告げたのでした。HIVの疑いがある、と。

「バカなことを言わないでください。定期的に検査はしてきましたから」

「しかし、リスクがあるのはご承知でしょう?とくにあなたのような……」

「もちろんです。だからこそ十分注意はしています。それなら、今ここで検査してください」

「それがここではできないんですよ。紹介状を書きますからおうちの近くの専門の機関に……」

「検査もせずになぜそのようなことを……」

わたしはその入院最終日の晩、泣きながら夜を過ごしました。後日、他の機関で一通りの検査をしましたが、すべて陰性。わたしは一緒に寄り添ってくれた女友達と手を取り合って喜びを分かち合いました。



※""シス=システム""の中のサバイバル

何度か指摘したようにここはシスジェンダーによるシスジェンダーのための社会であり、その""シス=システム""の代表例はわざわざ不特定多数に全裸を晒す公衆浴場です。大半の臆病な未オペトランス女性はそんなところに近寄ろうともしません。そこは自分向けの施設ではない、自分を疎外するシステムだと知っているからです。それなのに、きわめて少数かつ特殊なケース(実在する「MtF」の話として、実在したかどうかも怪しい話)を持ち出し「チンブラ入湯」などと言って「MtFが女湯に入ってくる!」「女性の安全が!」「女湯について考えます」などと喧伝したのがトランス排除派でした。そして「ペニスにトラウマがある性暴力サバイバー」を怖がらせるのか、と迫るのです。しかしこれに対してはトランス女性はこういうのでした。「自分の家に風呂があるのになぜわざわざリスクを犯して公衆浴場に入りに行くのだ」と。わたしたちもお風呂場の不特定多数の赤の他人に自分の未オペの部分など、——おそらくあなたがたよりもずっと——見せたくないのです。女湯についてはこれでおしまいのはずでした。にもかかわらず、トランス排除派は大多数のトランス女性にとって無関係な女湯問題なるものを語り継ぐのです。

さらにトランス排除派は、女風呂と女子トイレを一緒くたにすることで、この""シス=システム""、つまりその時点での解剖学的性というトランスにとって極めてプライベートで知られたくない部分を本人の意図に反して開示することを強いるシステムを、トイレにまで仮想的に拡張するのでした。「トイレはパンツを脱ぐところだから(ただし個室で)」という無茶苦茶な理屈で、です。すなわち、ペニスがあるものは女子トイレを利用するなと。

実際、わたしを含め、普段から女性ジェンダーで暮らしているトランス女性は女子トイレを使っています。もちろんまだトランス歴が浅く、適応が難しく、パスに悩んでいるトランス女性の中には女子トイレを使えない人もいます。たしかにグレーな部分ではあるでしょう。しかしそれは、普段から女性ジェンダーで生きていて、女性の姿で働き、買い物をしているトランス女性にとって自らのサバイブのために必要なことなのです。そしてそのことで誰にも迷惑をかけていない。粛々と、そうと気づかれぬまま、用を足すのみです。

それにしても、なぜ他人からは見えない体の一部分を気にして自分から男子トイレに入って、トラブルを自ら、しかも尿意や便意を催すたびに毎回招聘しなければならないのでしょうか。なぜ毎回不特定多数の男性相手に自分が「おかま」であることをカミングアウトしなければならないのでしょうか?

たとえばトイレの総個室化、オールジェンダー化など、この""シス=システム""を変える前に、現に女性として社会を生きているトランス女性の存在そのものを問題視することが、マジョリティの差別的な振る舞いではなくて何なのでしょうか?



※「女性専用スペース論争」の本質は、「""シス=システム""をテコとしたトランス女性への憎悪扇動」である


わたしは知っていました。

以前から、トランス女性に対して何か含むところを持っている「フェミニスト」たちを。

その人たちは今、皆「向こう側」に行っています。

この論争は、現実社会の事件や、法改正などのニュースに端を発するものではありません。また、双方ともなんらかの法改正を目指す様子も見られません。この論争がどこに行こうとも何も新しいものは生まれないのです。一体なぜこんな論争が起きたのか。

わたしは断言します。

「女性専用スペース論争」の本質は、「""シス=システム""をテコとしたインターネット上のトランス女性への憎悪扇動」である、と。

インターネットコミュニティはトランスにとって重要な情報源であり、貴重な仲間と通じ合う場であり続けました。外出もままならない移行初期のトランスがオペ済みのトランス女性の発信する情報にアクセスできたり、遠く離れた場所で女性の姿で就労しているトランスとコミュニケーションが取れたりするのもネットがあってはじめて成り立つことでした。たしかに内輪のノリで問題発言が見られることもあるでしょう。しかし基本的には臆病な集団なのです。なぜならマイノリティだから。クラスに一人いるかいないかの少数者だから。そして「性暴力サバイバー」を盾にとってこんなような愚鈍なことを未だに言われるのです。

f:id:kuroimtf:20190414211811p:plain 

わたしは「性暴力サバイバー」が自らの体験を語ることそのものがトランス差別だとは言ってないはずです。すでに語ったトランス女性の綱渡りの生活の実態を知らないまま「突然他人のペニスを見たら」などという安易な仮定を設定してトランス排除論とつなげることが差別的だとわたしはずっと指摘してきました。この方はわたしのブログに言及しておきながらこのような有様です。そしてこのような乱暴なツイートが多数リツイートされるのです。

しかし、今回の論争で一筋の光明もありました。

このような悲惨な状況下でもたくさんの「性暴力サバイバー」を含むフェミニストの方々がトランスに寄り添ってくれた。これは本当に心強いことです。

ありがとうございます。