悲しみを伴侶として
長い旅がはじまる。
夜行バスの中で、SNSの日記にそう綴った。ずいぶん昔の話だ。
当時、わたしは実家での引きこもり生活と精神科通い、アルバイト生活を経て再び上京するところだった。
アルバイト先の人間関係は良好で、同僚たちが最後にお別れ会を開いてくれた。出発の数日前のことだ。
「ぶっちゃけ……本当は女性になりたいの?」
「うん、実はそういうことで……」
「ゆくゆくは取っちゃうの?」
「それはまだ、わからない……」
実際それはあらゆる意味で遠すぎた。髪を伸ばし、ホルモン剤は個人輸入で手に入れていた。中性的な服装を好み、GIDの自助グループにも顔を出し、オペ済みの当事者からも話を聞いていた。でも手術費用や社会適応のことを考えると、気が遠くなるようだった。
ともあれ、その時のわたしはまだトランスの入り口に立ったばかりだった。トランスという長い旅の。
そもそも男性から女性になることなんてできるのか、女性になるとはどういうことなのか、女性として生きるとは?
これはトランスジェンダーに懐疑的な考え方を持つ人々のセリフではない。その時わたしが綴っていた日記の一部である。
仮に手術ができたとして、子どもを産む身体になるわけではないのに、少女として育った経験がないのに、女性になることなんて、みなされることなんて、可能なのだろうか?
それらのクエスチョンマークは長い旅の途中にある今もわだかまり続けている。ただし問いとしてではなく、解決不能であるがゆえに永遠に付き合っていかざるを得ない、ひと塊の悲しみとして。
悲しみを伴侶にしてわたしは旅を続けている。
※
昨日の続きとしての今日がはじまる。
長い旅の途中経過はこうだ。
わたしはあれから東京で3度引っ越しをし、アルバイトと飲み屋の仕事を経て、風俗店で働いている。半年ほどで辞めるつもりがズルズルと続けることになってしまった。その間に豊胸手術を1回、顔の整形を3回した。これらに費やした金額の半分でSRSはできたはずだった。なぜそうしなかったのかは色々と理由はある。でも、うまく説明できる自信がないので今ここではしない。
わたしの運転免許証を誰かが拾ったとしても、その免許証の持ち主を男性だと思う人はおそらくほぼいない。裁判所で氏名変更の申し立てが認められたからだ。このことはわたしのQOLの向上に大きく役立った。
出勤するためにはシャワーを浴びて、それからメイクをしなければならない。わたしは今の仕事をそれなりに愛しているし、おそらくはプライドとか矜持とかいうものも多少なりとも持ち合わせている。でも、この出勤のためにシャワーを浴びる決心がなぜかどうにもつかずかなり重めの憂鬱を感じる時がある。これがセックスワークの性質と関係があるかはおそらくは辞めてみないとわからない。
この仕事をそれなりに愛している理由は、誰かに必要とされることで、誰かに身体を欲望されることで、あのひと塊の悲しみが少しだけ何か温かいものとなって溶け出すのを感じるからだ。子どものころ、わたしは同級生から毎日服を剥がれて、教室の隅で裸にさせられていた。いまと同じだ。ただし、あの頃は泣いていたけど、今は微笑んでいる。
そのようにして、ひと塊の悲しみを伴侶として、旅は続いていく。どこに辿り着くかは、まだわからない。
今日が終われば、また、明日がやってくる。
Transition is Real
※わたしは全然知らなかったんだけど、トランス女性(?)はこの世界で絶大なる権力を持っているらしい。
こんにちは。みふ子です。
祝!ツイッター復活(@Mifuko3_xoxo)!
ということで威勢のいい投稿をひとつしてみたいところではあるんですが、まあ、ツイッター言論の状況は相も変わらずということで、いまだに一部の人々が風呂とトイレの話をしていることにあきれ返っています。そんなわけで、「いや女性のセーフスペースが!」とかおっしゃる方はぜひこちら、実に二年前に書かれたこの記事(https://kuroimtf.hatenablog.jp/entry/2018/12/28/202941)を読んでいただきたく思います。
ところで、一部の人々の視界の中では、虎ンス女性、なかでもTRAと呼ばれる勢力がこの世で大変な隆盛を誇っているらしく、なんでもただただ女装して、いや女装すらしなくても自分が女だと主張すれば女性と認められ、女風呂に押し入ることもできて、それまで入っていた人たちが通報できなくなる世界に近々なるらしいです。
正気なんですかね、まあそれはいいや。
ともあれ、そこで一部の人々はこう叫ぶわけです。Sex is Realと。
なるほどSexはRealかもしれない。とりわけ自分の身体的性別がゆえの困難を呪詛してきた人からすればSexなど幻想だという考えはきわめて愚弄的なものにも見えるでしょう。それはその通りです。
しかしわたしからすればTransition is Realなわけです。
逆に伺いますが、Sex is Realが真なら、Transition is Fakeなのですか?違うでしょう。
わたしがTransitionをはじめてからの月に数回のホルモン注射、身体の変化、メンタルの乱れ、そして移行初期に様々な心ない言葉をそれまで近しかったはずの人々からも受け続けてきたこと、トイレを我慢しなくてはならなかったこと、昼職のバイト先で受けた様々な理不尽、氏名変更の手続き、整形手術のダウンタイムの痛み、そして性的な被害にあったこと、すべてがRealなはずです。
ただこのようなことを言っても、Sex is Realを叫ぶ人はまだ納得しない。性別別スペースの問題と、そもそもジェンダーをトランスするとは?の問題がまだ残っている、そうですよね?
ジェンダーをトランスするといったときのジェンダーが非常に差別的な価値観に基づいたもので、したがって、Transitionの中で受けた差別は自業自得のものであると。性別別スペースの困難においても同様であると。
わたしは非常に不思議に思うのですが……
あなたがわたしたちについて考えているようなことが、どうしてわたしたち自身がすでにみずから考えてないと思えるのでしょうか?そしてわたしたちのひとつひとつの生が、すべてあなたの想像の範囲内におさまると?
※どうしてそれを当事者本人が考えたことがないと思った?
それで最初の話に戻るのですが、当事者の多くがTransition is Realのエピソードを出し、またその姿をさらけ出しているのにも関わらず、結局いまだに「着ただけ女装」とか「今日だけ女」とか「宣言しただけ女」とか「自称しただけ女」の例を出すのは、それによってTransition is Realを部分否定し、かつ安全性を引き合いに出すことで、一トランスのTransitionがRealであろうとFakeであろうとFakeとみなさなければならない、という結論を導くためのものでしかありません。
しかし何もそんな極端な例をあげなくても、すでにこの社会はそのようにできているので、現行法では性別適合手術をしなければ法的には女性にはなれませんし、大浴場に入ることも(男性用も女性用も)難しいですし、見た目が移行後の性にある程度一致していなければたとえ戸籍変更後であっても日常生活の中で完全に女性とみなされることも難しい。そんなことはほぼすべてのトランス女性は身をもって激しい痛みとともに理解しているのです。そのトランス女性をつかまえて、「お前と女装した性犯罪者は見分けがつかない」などというのは端的に言葉の暴力なのではとわたしは思います。まあ個人的にはネット上でそれ言われたら、お前あたしのこと見たことないくせにバカじゃねーの(笑)ってなりますけど。
現行法では性別適合手術をしていないトランスジェンダーの位置づけはありませんし、(以前、同業者が殺されて山中に埋められた時はニュースで「豊胸手術の跡がある男性の遺体」と呼ばれていました)また、性別適合手術を行ったあとのトランスのアウティング禁止などの人権保護規定もありません。で、ある以上、トランスは法的には現状圧倒的な弱者であるわけで、その現状を踏まえながら、自分の使うべきスペースをその都度判断したり、あるいは使用そのものを控えたり、性犯罪にあっても通報できなかったりという現実をしたたかに生き抜くしかありません。
そういった存在を陰謀論を交えて何か巨大な力を持った存在であるかのように語り、脅威を煽るのは、ほかのあらゆる差別問題でもよく見た景色、と言わざるを得ないのです。
※トランスの動機?忘れたw
で、もう一つ。トランス女性がトランスする動機はそもそも女性差別的なジェンダー観によって行われた、というものなんですが、これは「ジェンダー撤廃」派かよく言ってることですね。ところでジェンダー撤廃派の人たちはそれを人口比としてめちゃくちゃ少数派なトランス女性に言う前に、この社会を形作っているすべてのメディアやこの社会の成員たる非トランス男女にも言ってほしいと思うんですが、言わないですよね。まあいいや。わたし自身としては理念としてジェンダー撤廃には賛成ですよ。理念としては。
さて、わたしがどういった動機で、女性ホルモンを打ち出し、女性よりの表象で生き始めたか?実はそんなことはわたし自身もわからないんですよ。いや、動機はあったかもしれませんが、忘れました(笑)ただこのままの姿で人生を終えたくない、とか、この身体が嫌だという気持ちはありました。だが世の中にはそういう思いをかかえたまま様々な理由で身体の移行をあきらめた人もいる。わたしとその人の違いは、正直わたし自身もわからない。
そして、身体や生活が変わるとともに、周囲との関係、社会との関係は着々と変わっていく。その中で自分の身体への思いも微妙に変わっていく。もちろんお仕事のこともある(このお仕事をしなかったらこんなクソ重たい乳なんてつけなかった。めっちゃ痛い思いして、高いお金を出して)わたしがトランスしているという前提で周囲の物事も、わたしも動いている。本名も変わってしまったので、もうこの世に存在しない元の名でわたしのことを呼ぶ人はいません。家族以外は。
その中で、なぜおまえはトランスするんだと聞かれたら、
「これまでトランスし続けたから、トランスし続けるだけ」
と答えるほかなくて、そもそも生きた人間のリアルの生活とはそういうものではないかと、わたしは思います。ですからまあ、ジェンダー撤廃主義の排除派の皆さんに言いたいことは、個々人のライフヒストリーをあんまり馬鹿にしないでよってことですね。
このテキストはすべての人に開かれています。いかようにでも解釈してくだされ。
みふ子復活したよ!
jijiやErinのツイートをRTしているのは矛盾では?!
また近々アップするよ!
楽しみにしていて!
前の記事でめちゃくちゃアクセス上がってモチベーション上がってきた〜♡♡
トラ女と性被害のはなし
※やあやあ、戻ってきたよ
ここ数ヶ月、「みふ子」としては、きんとら(https://m.youtube.com/channel/UCStLLOC5faKpFtqeX6Y_TSA)のラジオに出たくらいで、ずっと沈黙をしていたんですが、まあそれというのも、普通に(コロナ禍にも関わらず)忙しかったのと、正直ツイッター上のトランスをめぐるやりとりにウンザリしていたからで、結局最初から理解しようとする気のない人たちに何を言っても無駄だと感じたからに尽きます。
そもそもツイッター上で無理解な人がタガの外れた差別的なことを壊れたスピーカーのように繰り返したところで、今のところわたし個人の生活にはあんまり関わりはないですしね。大多数のトランスがそうであるように、わたしはわたしの状態に応じて、無理なく日常の様々を生きています。
※語る必要のないことは語らなくていい
わたしがどっちのトイレを使っているか?そんなことはプライバシーなんでそもそも言う必要なんてないんです。ついでにいえば、下半身の状態も言う必要なんてない。わたしは裸の仕事をしていますけど、そうでもなければね。ただ個々人の状態やその場のシチュエーションに応じて、無理なく日常生活を営む、それだけのことなのに、なぜあれやこれやと聞かれなくてはいけないんです?放っておけよという話です。
※トラ女の性被害の報告はゼロ?!なぜならば……
そうは言っても身分証を見れば、性別の変更をしているか、改名をしているか、などがわかるわけですが、これはさしあたり実は当人の生活実態などとは関係なく、男性器から女性器への性別適合手術をしても男性として社会生活を送っている人もいれば、むろんトランス男性でペニスはないものの男性ホルモンの作用で見た目がまったく男性だが、なんらかの理由で戸籍の変更をしていない人もいるわけです。トランス女性は、そうしたさまざまな性の辺境を生きる人たちの一部に過ぎません。
さて、トランス女性のとある性被害にまつわるツイートがまたひどく捻じ曲げられて拡散されているようです。
""被害に遭ったとき「女性被害者」になれること自体が私は羨ましかった""という表現が指弾されているのですが、この後に非常に明快な説明を試みているのにも関わらず、この""でくくった部分だけがとある人たちに拡散されて、「セカンドレイプ」「女はイージーモードというインセル思考」というコメントをされているわけです。
やれやれ、だからTwitterは嫌なんだよまったく。
わたし個人のことを言えば、電車で尻を触られることもしょっちゅうだし、街ですれ違いざまに胸を触られることもありますし、後ろから来たチャリに尻を鷲掴みにされたりする。繁華街を歩いていれば「おっぱい!」と叫ばれることもある。あと仕事柄わりと露出度の高い服を着て(いま何かと話題になっている)「夜の街」を歩くこともあって、まあ時には酔ってたりする。羽交い締めにされて車に乗せられかけたりね。突然ですよ、突然。車は怖いですね。車から降りたいんなら口で抜いてって言われたり。
でもね、そんな被害に遭っても届出出せないんですよ。
そもそも警察の文書には「トランス女性」などという言葉はきっと載らない。だからトランス女性の性被害の報告はゼロです。
では、わたしが仮に被害届を出したとして、警察の文書にはどう記載されるか?
せいぜいが「男性の被害者」または「女装した男性」などと記載されるくらいではないかという気がしています。何年女性ホルモンを打って、生活の実態はどうであっても。街中ですれ違う人が当人をどちらの性別で認識しようとも。
そんなの、出せませんよ。
我慢した方がずっといい。まして警察に届出出す時には、あれやこれや聞かれるんでしょう?
あの「問題化」されたツイート、わたしならばああいう表現は使いませんが、ようは被害者にすらなれない、というトラ女の現実を言ったもので、インセル思考だとかセカンドレイプなどというのは曲解にも程があるでしょう。悪意があるとしか思えません。
まあ、Twitterはこういう印象操作ができてしまうんですね。そしてこれは改善されないでしょう。
非当事者の皆様、トランスとかジェンダーのことを知りたいと、もしあなたが思うなら、Twitterはダメです。YouTubeを見ましょう。いい時代になったもので、いまたくさんの当事者がYouTubeで発信しています。彼ら彼女らの、直の声を聞いてみてください。捻じ曲げられたあやしげな引用ではなくて。
透明なグラデーション
「生きているだけでトラブルを招きかねない存在」なのは、もともとマジョリティ(男性)である人がマイノリティ(女性)側に入ろうとしているからマイノリティ(女性)側にトラブルを招きかねないのであって、それは当然受け入れるべき事実なのでは?【原文ママ】
※セクシュアル・モラトリアム
「さあ、終わりましたよ」
遠くから聞こえてきた声がだんだんと近づいてくる。
「痛かったですよね。もう大丈夫ですよ」
そこでようやく意識がはっきりしてくる。目と鼻に鈍い、しかし頑固な痛みを覚える。目が開かない。涙が止まらない。いやこれは涙ではなくて血……?
顔の上にガーゼがかけられる。布が涙だか血だかわからない液体を吸って、顔にぴったりと張り付く。
三度目になる整形手術をした。
豊胸と合わせれば、身体にメスを入れたのはこれで四度目ということになる。
それにしても、手術というのは実にしんどい。
はじまる前はほんとうに怖い。そのあとはほんとうに痛いし、つらい。
今後、わたしはこれをあと何度やらなければならないのか(次の整形とか、性別適合手術をしたりだとか、どこかに癌ができたりとか)と考えると、本当に人生とはままならない、どこかでとっとと自分でケリをつけたほうがよっぽどいいのではないか、とすら思える。こんな面倒くさい、痛くて、なにより痛々しい人生なんか、ひとおもいに。
そして手術直後の顔面といったらそれはもうひどいものだ。
目は開きづらいし、そのまわりは内出血で変色し、鼻は腫れあがっている。
それはちょうど試合後のボクサーのよう。当然鏡でそういう自分の顔と向き合うのはひどく落ち込むことだし、この状態がちゃんと治るのか、いや、治るだけではなく、期待したほどに「いい顔」になっているのか、本当に心配になり、ナーバスになってしまう。
わたしがこれまで美容整形に費やした額は、とうにSRS(性別適合手術)にかかるであろう費用を超えている。超えているどころか2倍以上だ。つまりやろうと思えば性別移行はすでに終わっていた。
なのになぜ、このようないわば「セクシュアル・モラトリアム」状態を続けているのか。インターネット上では「未オペMtF」に対する風当たりが強まっているというのに。
もちろんすべての未オペMtFが同じ事情であるはずはない。
しかしいずれにしろ、その事情は個々の生活を追ってみることなしに理解はできない。わたしは今回TSとTGの間の微妙なグラデーションにスポットライトを当ててみようと思う。
目的?
それは最後まで読んでくれればわかるはず。わからなかったらそれはわたしの力不足。ベストを尽くしてみるから最後まで読んでね。
※避けがたい「パス度」のはなし
さて、ツイッターで去年ごろからずっと燃えている「トランス女性の人権」や「トランス差別」の話について。
もちろんわたしはこれまでトランスに向けられたあらぬ誤解や悪意にひどく腹を立てて、またその流れでの発言はしてきた。ただ、わたしが「人権」「差別」という話には今一つ乗れないのは、そういういかにも「左」な話題にアレルギーを抱いているから、ではない。
そうではなくて、結局インターネットでいくら論戦をしてもこの社会における性別移行者への偏見や差別は現状なくならないし、生きていたら絶対ひどい目に遭わされるから。ある意味、あきらめているから。
差別されること、ないがしろにされること、嗤われることが、デフォルトだから。
オネエ呼ばわりされること、「襲わないでネ」とお尻を隠すポーズをされること、昼職バイトで落とされることが「ふつう」だから。変態扱いされることも、「あれはやっぱり男」とかげで言われることも「日常」だから。インターネットで人権や反差別を叫んでもそれはきっと変わらないから。
確かに2019年のこの国において、性別移行者の存在はメディアを通じてそれなりに知られてきたし、理解してくれる人、そこまではいかなくても尊重してくれる人、は増えてきた。しかし100人いたら100人がそうというわけではない。そしてこの人生、そうというわけではない人と出会わないで済ますのは至難の業である。昨今のヘイターによるツイッターの書き込みを見てその思いを強くした当事者もかなり多いのではと思う。
差別されること、嗤われること、ないがしろにされることからは避けられない。
トランスと認識される限り。
ではどうすればいいか。
簡単な話で、トランスと認識されなければいい。
つまりパッシングの話になる。
※そりゃあ「パス」はできた方がいいけれど
そう、トランスだと気づかれなければ、つまりパスができていれば、トランスゆえの不遇な目に遭うことはかなり避けられる。たとえオペそして戸籍変更を済ましていなくてもある程度平穏な暮らしは約束される。
移行先の性別のトイレを使ったところで誰にも文句を言われることはない。
なぜなら、気づかれないのだから。(むしろ知人にそのことを言うと「いやいやあなたが男子トイレに入ったら大変でしょ(笑)」などと言われる)
逆に言えば、たとえオペや戸籍変更を済ましていても、元の性が明らかにわかってしまうような見た目の場合、性別分けされた公衆トイレの使用を自粛せざるを得ないケースも考えられる。トイレで誰何された場合は身分証明書を見せればいいという意見もあるけれど、当事者にとっては誰何されることそのことが計り知れない苦痛となる。誰でもトイレはどこにでもあるわけではない。
こうした事情の当然の帰結として、「パス」「パス度」の話題は当事者にとってきわめて切実なトピックとなってくる。メイク、脱毛、立ち振る舞い、声の出し方、服のチョイス、さらには美容整形のことについて。
あるトランス女性がフェミニズム界隈では非常に評判が悪い『ルッキズム』に支配されているように見えたとして、それはこのコミュニティ全体がこうした「パスせよ。さもなくば」という圧力に晒されている結果であって、そのトランス女性の『オートネガフィリア性』を指摘するのはせめてそこを考慮したあとにするべきだと思う。そして美しくなりたいという願望は別にトランス特有のものでもない。
何より大事な点は、現実生活において「パスできないこと」「リードされること」「アウティングされること」を恐れるトランス女性像というのは、トランスヘイターが想定するトラブルメイカー的トランス女性像とは相当な距離があるということである。ここまで読んで考えてみてほしい。この2019年の日本において、どちらのトランス女性像がリアルか。どちらのトランス女性像に生の息吹が感じ取れるか。
とはいえ、わたし自身もパスこそがすべてといった界隈の風潮はあまり健康的ではないと思う。以前こちらの日記にも書いたけれど、リードされたかなと疑うたびにメンタルを大きく崩したり、強迫観念的にパスを求めてそちらに生活のリソースをつぎ込んだりするような状況はトランスの生きづらさの原因にもなっている。このパスの圧力を軽減するためにはどうしたらいいか、具体案はわたしの中でまだ出ていない。ただひとつ確実にいえるのは、インターネット空間におけるトランスヘイトは、この「パスの圧力」をより高める作用を持つということだ。
※「いつかこれ、切っちゃうの?」
個人差はあれど、女性ホルモンを長年摂取すると身体は丸みを帯びてくる。体毛も薄くなる。肌質や、髪質も変わる。顔の肉の付き方にも影響するので当然ながら人相も変わってくる。そこにさらにメスを入れて胸と顔をより女性的に変える。
その身体にペニスがついている。
わたしはその身体で殿方様に喜んでいただくお仕事をしている。早い話が風俗嬢だ。
「いつかこれ、切っちゃうの?」
これは、たぶん『新規のお客さんから聞かれる質問ランキング』のトップ5くらいには入ってくる。そしてだいたいのお客さんはこういう。
「切らない方がいいと思うんだけどなあ」
わたしは苦笑して言う。
「ご安心を。このお仕事を続けている限りは切りませんよ。辞めた後ですね。どうするか考えるのは」
事実そのつもりだ。わたしのプレイスタイルからするとSRSをしてしまうとお客さんの数はぐっと減ってしまうだろう。そしてSRSを急がなければならない理由は今のところはない。結婚を考えている男性もいなければ、自分の性別をハッキリさせなければいけない理由もない。このセクシュアル・モラトリアムを当面続けていくことは自分にとって合理的、そう思っている。こういうグレーなところで生きている人間がこの世界にはいる。
何度も繰り返すけれど、女性専用スペースについては「そのスペースの性質に応じて個別の判断、または管理者との相談によって決める」である。
※「この子は男じゃないんだから」
わたしは温泉が好きだ。お風呂から上がった時にお肌がつるつるさらさらしているのがなんとも気持ちいいし、露天風呂ならさらに格別だ。
だけど、「個別の判断」の結果により、大浴場は入れない。そこでどうするかというと、貸し切り風呂のある温泉宿をとる。こうした宿は少しばかり値が張る傾向にあるけれども仕方がない。
先日、実家の近くのとある有名な温泉に両親を招待した。これで度重なる親不孝がチャラになるとは思ってないけれど、毎年こうしてチマチマ借金を返しているつもり。おそらく完済はどう頑張っても不可能だろうけれども。
改名して五年近くにもなるのに両親は未だにわたしを男性名で呼ぶ。しょうがないと思っている。とはいえ、旅館の従業員など赤の他人が聞いている場所でわたしを昔の名前で呼ぶのは勘弁してほしい。
食事を終えて、個室露天風呂に入るまえにタオルや浴衣を準備しているわたしに、母親が言ってきた。
「お母さんもその個室の露天風呂に入ってもいい?」
「え。さっき大浴場入ったでしょ」
「だってすごい景色がいいっていうじゃない」
貸し切り露天風呂を使える時間は40分しかないので、時間を分けて入る余裕はない。
「じゃあ、一緒に入る?」
母親はずいぶん久しぶりになるわたしの裸を見て黙っていた。
何と言ったらいいかわからなかったのだと思う。その一方で母親はわたしが何の仕事をしているかおおよそ察している気がした。
お風呂からあがると、父親がテレビを見ながらビールを飲んでいた。
そしていつものように、将来のことについての説教めいた話になった。いつものようにわたしは父親の言葉を右耳から入れては左耳から外に出していた。お決まりのBGMのようなものである。
そんな調子だったから、母親が父親のどんなセリフに次の言葉を言ったのかわからない。「いずれお前も」だとか「ちゃんとして」みたいなセリフだったと思う。でも母親がこういったのははっきりと覚えている。
「お父さん、この子は男じゃないんだから、もうそれは言わないの」
よりよき共生のために〜みふ子Twitterに現る
※いやあ、相変わらずここはひどいインターネットだ
さて、このたびTwitterに降り立ちまして自分では旋風を巻き起こしているつもりのみふ子(@mifuko_mtf)です。ただ単に場を荒らしているだけかもしれません。でも元々荒れてたからいいじゃん。そういう問題でもないか。
備忘録も兼ねて、ここまでの主要発言をまとめます。
※女性専用スペースについて
「女性専用スペースに男性身体がいることは通報の対象となる」
「現状、トランス女性はどちらのスペースを使うかは個別の状況で判断している」
「スペース使用可否を判断する権限は管理者にありトランス女性にはない」
ですから、何の変更も行われてないですし、行われる予定もないです。
だいたいトランス女性って言っても身体の状態やパス度がバラバラなんだし、女性専用スペースだって色々なので、言えるのはこれくらいなんですよ。双方妙に対立点を煽るのはやめてほしいし、マジョリティ側は本当に冷静になってほしい。なにも変わってない。
だいたいここまで言っても不安がられるならあとはどうすればいいの?トランス女性がみんな死んだらいいの?
それともトランス女性は男性スペースを使います宣言とか?そこまで追い込むのって「いじめ」って言うんですよ。
※トランス女性とは?
何というか、排除派の方の語るトラ女はやたらと自信満々で太々しくて「いやそんな奴おるかよww」って感じなんですが、あの方たちはどうもトラ女の内心世界をかなり見誤ってるんじゃないかという疑惑が濃厚になってきました。
ところで、トランス女性の誰が言ったかよくわからない定義「ジェンダー(社会的性)が女性で、女性らしく生きているので女性」という言い方、一部フェミニストの皆様から怒りを買っているようなので、(確かにそれはわかる)今日はこれも疑ってみましょう。
これはこの胡散臭い定義のせいで一部フェミに攻撃を受けているので訂正する、わけではなくて、この定義は非常に多様なトランス女性の生の実相とはずいぶん離れているからです。まだ「心の性」の方がわかる(スピリチュアルに流れてしまうけどね。
わたしは仕事の時はそりゃあワンピースでバシッと決めてエロい下着着て行きますけれども(だってそういう仕事だし)、そういう人から見える部分がわたしのすべてではない。ショートカットにしてTシャツGパンだけで過ごしている当事者も知っています。そういう女性がいるようにね。
「社会的性別(ジェンダー)が女性」ではなくて、「女性として社会を生きようとする」。もちろん「今日からわたしは女性として生きる!」と言って女性として生きられるわけはない。
そこで身体やpassingの問題が出てくる。さらに言うと内科外科的な手段による身体改変。
そしてなぜわざわざ多大な困難を呼び込んでまで生まれと異なる性として社会を生きようとするかというと、性違和や身体違和があったりするわけでしょう。まあわたしは当事者一人一人に聞いて回ったわけではないので別の動機もあるかもしれないけれど。
よくターフと呼ばれている方々がですね、「身体の問題を無視するな」とか言いますけどね、トラ女界隈ほど身体のことわいわいしゃべってるコミュニティないっすよ。
「何がジェンダーだ!ジェンダーをぶっ壊す!ジェンダーをぶっ壊す!ジェンダーをぶっ壊す!ジェンダーをぶっ壊す!ジェンダーをぶっ壊す!」って叫んでトラ女を叩いているフェミさんにはいや一旦落ち着いてジェンダーはとりま横に置いておきましょうと言いたいです。
もちろん「女性として社会を生きようとする」中でズレた女性観を開陳して女性から顰蹙を受けるトラ女もいますけど、それは個別の問題ですし、だいたい似たようなことは女性同士でもあるでしょ。
ですから、トラ女に向かって「あなたの存在自体が女性差別」なんて言うのは、フェミニズムでもなんでもなくて、「言葉の暴力」であること、共有できないかなあと思っています。
このブログの更新は終わります→終わりません
このブログの最新記事にて
guriko氏への批判が、
文脈の取り違えだという
指摘がありましたので、削除の上、
謝罪いたします。
なお、職業との関連性に
述べたことも、この記事に関しては
不適切でした。
このブログは、大変反響を頂いた
こちらの記事→
https://kuroimtf.hatenablog.jp/entry/2018/12/28/202941にはじまり、反トランス差別、
およびトランス女性SW、そして
生活者としてのトランス女性としての
スタンスに基づき
更新してまいりましたが、
当方の精神的な負担が大きいため
更新を停止していました。
しかしこのたび、
トランス女性と医療の関わりにおいて
トランス差別者による
あまりにひどいツイートが
目に入ってきました。
このブログの使命はまだ
終わっていなかった、ようです。
近々更新を再開します。
よろしくお願いします。
このブログの過去記事のシェアは大歓迎です。
よろしくお願いします。