黒井みふ子の真夜中日記

性同一性障害と摂食障害のセックスワーカー。一部R18

MtFの女性専用スペースの利用について、ひとりのMtFが考えたこと

ツイッターにて


「自称レズビアンMtFレズビアンバーでビアン女性を口説き、断られたらMtF差別だと騒がれた」

その話をツイッターで目にしたとき、つい舌打ちがでた。「またあいつらか……


自己紹介をしよう。

わたしは、おそらく、MtFというカテゴリーに入る人種である。トランジションはかなり進んでいる方だと思う。女性ホルモン歴は7年、豊胸手術、整形手術を2回、しかし下の手術はまだ。したがって、男性器はついたまま。このことは、この文章が書かれた時点のこの国の法律の下では、戸籍上は男性であることを意味している。

戸籍上は男性でも、わたしは1日のうち24時間女性として生活をしている。女性の洋服を着て、お仕事も女性として……かは、かなり微妙なのだが、これはこれで大切な話なのでまた後述する。

そしてセクシュアリティ。わたしはMtFヘテロセクシュアルと自認している。もっとも、MtFを女性と認めない立場からすれば、女装ホモなどと見下した言い方をすることも可能だろう。どのみち、わたしは男性器をつけた男性とセックスすることを好む。女性には性欲を抱かない。


それで最初のレズビアンMtFの話に戻るのだが、ヘテロ自認のわたしとすれば、「レズビアンバーでビアン女性を口説き、断られたらMtF差別だと騒ぐ」自称レズビアンMtFについては、世間のMtFのイメージを下げるただただ迷惑な存在である、というしかない。現実に存在するのだとすればの話だが。しかし、同時にわたしは理解しなければならないとも思う。この情報で「またあいつらか……」と舌打ちをするわたし自身もまた、MtFレズビアンに対する差別者なのであると。「チンコをつけたまま女風呂に入らせろと主張するMtF」像を捏造し、「トランス女性と性犯罪者は見分けがつかない」などと言っている一部フェミニストと同様に。


全く顧みられないトランスの「リアル」

確か、きっかけは御茶ノ水女子大がMtFの受け入れを表明したことだったろうか。MtFを猛烈に嫌うフェミニストの一部グループが「下がついたまま女風呂に入らせろと主張するMtFを断れない」の話を持ち出した時、わたしはそれを一種の極論、思考実験の類だと思っていた。もっとも埋没MtFの常識からすると、これは思考実験としてもお粗末極まりない話なのだ。あまりにもおかしいのでわたしも最初は苦笑して見ていたくらいだ。しかし、いくら当事者がそんなバカなと言っても彼女たちは話を聞かず、訂正をせず「下がついたまま女風呂に入らせろと主張するMtF」があたかも現実世界に多数存在する、またはこれから多数存在するようになるだろうという前提に基づいて話をはじめた。何度も何度も出した。そしてそうなれば、MtFをいつわる女装した性犯罪者が女風呂に大手を振って入るようになる!加害を許すな!そもそもペニスを見せるのは性暴力!というわけである。


「嘘も百回言えば現実になる」とはまさにこのことで、「下がついたまま女風呂に入らせろと主張するMtF」像はいつのまにかトランス嫌悪フェミニストだけではなく、ツイッターフェミニスト全体に蔓延しはじめた。当初は過激な泡沫政党の嗤うべき妄想だと思っていたものが、実際に主張として力を持つようになったのである。


揉め事は起こしたくない

というわけで、わたしは今から「下がついたまま女風呂に入らせろと主張するMtF」像がなぜバカげているか語ろうと思うのだけど、率直に言って脱力している。性同一性障害とかLGBTというものがこんなにも語られるようになったのにもかかわらず、ここまで誤解や無理解が蔓延していることを思うと、性的マイノリティにとって住みやすい世界など永遠に来ないのではないかという気がしている。しかも、普段はジェンダーだとか人権に敏感な人たちでさえ、偏見から自由になれていない状況を見ると……


たとえば、わたしのある日の一コマ。

男性とのデートで都内某所の割烹に入る。わたしが、すみませんお手洗いは、と店員さんにきくと、店員さんは女性用お手洗いを案内する。わたしは個室に入り便座に座り当たり前のように用を足す。洗面所では鏡に向かって女性が化粧直しをしていた。わたしが後ろで待っていると女性は「あっすみません」と言ってわたしに洗面台をゆずる。わたしは会釈をしてさっさと手を洗う。

席に戻って男性と談笑をしていると、店員がファーストドリンクを持ってくる。赤ワインのグラスと芋焼酎「三岳」のロック。店員が「三岳のロックのお客様」と言いつつも、こちらがリアクションを取る前に男性の前にそれを置こうとする。「いや、それわたし」というと店員は「申し訳ありません」と言いながら、ロックグラスをわたしの前に置く……


ここでたとえば、わたしが「いや、わたしは実は戸籍上は男性なので、男子便所に入ります」と言ったならどうなるだろうか。店員さんは友達でもなんでもないわたしの突然のカミングアウトに困惑の表情を浮かべるに違いない。こんな唐突なカミングアウトは迷惑もいいところだ。そして、男子トイレの中に先客がいた場合、きわめて高い確率で混乱とトラブルが発生するだろう。胸の谷間を強調したワンピースを着た長身ロングヘアの化粧ばっちりの女が突然男便所に入ってくるのである。男性からしたらいい迷惑だろう。「下つきで女風呂に入らせろと主張するMtF」は虚像、妄想の産物だが、「下つきで女性トイレに入るMtF」はリアルである。ただし入らせろと主張したりはしない。すでに存在しているのだから主張する必要などない。主張しない。しかし、わたしたちは存在している。すでに存在しているのだ。



ところで、マイノリティは基本的にトラブルを起こしたがらないものだ。在日外国人にしても、障がい者にしても、トラブルが発生した時に割りを食うのはいつもマイノリティの側なのだから。MtFも例外ではない。埋没MtFにとって、「自分の性別がその場の話題になる状況」そのものがストレスなのであり、この世から消えてしまいたくなるような災難なのであり、拒否されているのに性自認を盾にとってわざわざ下つきで女風呂に入らせろと主張することは、この災難をみずから招き入れることに他ならない。自殺行為である。ついでに男装状態、もしくはパスが全く期待できない状態で女子トイレに入るのも同様の自殺行為である。

だから、それらは埋没MtFの常識から言えば「通常あり得ない」のだ。もちろん広い世の中には通常ではないシチュエーションがあり、通常でない人だっている。通常でない人は目立つし、災害時など通常ではないシチュエーションを個別に想定することは無意味ではない。だが、ひとまず通常の話をすれば、何度も言うが、お笑いぐさである。妄想も大概にしてほしい。だいたい、この平成の世にわざわざ銭湯に行く機会ってそんなにある?自分のマンションのお風呂に入るよ!好きな入浴剤使い放題じゃないか。

そんなわけで、穏健と見られていた影響力の強いフェミニストまでもが「下つきで女風呂に入らせろと主張するMtF」という歪んだ虚像に懸念を表明するたびに、女子トイレの話と女風呂の話を一緒くたに語る粗雑な議論を見るたびに、わたしは頭を抱えるのである。正直、もうちょっと賢い人たちだと思っていたんだけどな……って言いたくもなる。これでも表現を抑えているのだ。それくらいマジでこの話にイライラしているのだ。本当にバカげている。


なぜフェミニストと仲が悪いのか?

MtFとツイフェミの相性の悪さは有名である。ただでさえ相性が悪い上にSNSという舞台の特質がさらに対立を根深いものにしている。

ここにアンチトランスフェミニスト側のMtFに対する心情を端的に表現したツイートがある。皮肉ではなく大変優れた表現力で、アンチトランスフェミニストがなぜアンチトランス思想を抱くか、過不足なく説明されていると思う。


「生まれた時から男として優遇され、話をよく聞いてもらえて、丁寧に扱われて、それが当然だった人間が、自分より弱いものの声を聴き、真に寄り添うことなんてできるのか?ましてや"心の性"というものを規定し、どういうわけか弱者のそれを知り、なりきる、なんて本当に可能なのか?」


反論はあとで書くことにして、ここでは「トランス女性は女性ではない、自分はそう見たくはない」という意思が強く示されていると見ていい。誤読のしようがない、明晰な文章である。ようするにアンチトランスフェミニストはトランス女性の一挙手一投足に「男」を見るのだ。(当然これにMtFは激怒する)そして、「下つきで女湯に入らせろと主張する無神経で自分の加害性に気づかないMtF像」はこの「実は単なる女装男」の延長線上にある。女性に囲まれてそんな大胆不敵になれるはずがなかろうと思うのだが。

まあ、仲良くできるわけはない。いいと思う。全世界が仲良くならなければならないなんて決まりはない。事実としてこの世界からいつまでたっても戦争はなくならないし、差別もなくならない。しかし上のツイートはわたしのような未オペMtFのみならず多大な困難を乗り越え、性転換手術をし、さらにこれから困難な人生を生きる性転換者、そしてかつてのわたしのように性別違和を抱えながら生きている小さな少年をも、踏みつけるものだ。そちらの言いたいことはわかるが、それでもわたしは言う。特にあなたたちに主張することはないが、言う。わたしたちは存在している。たしかに存在している、と。どこかに。もしかしたらあなたの隣に。言わないけれど。

言うものか、決して。


ふたたび、とある未オペMtFの「リアル」

ここからは多少生々しい話も入ってくる。生々しい話が苦手な方には申し訳ないが、世の中には生々しく語らなければ伝わらないこともある。押し付けはしない。ここから話すわたしのことと、ツイフェミが語るMtF像、どちらがリアルなのか、あなたに判断をしてほしい。できるだけ包み隠さず語るから。


わたしは子どもの頃からオカマ、オカマと言われ、毎日のようにパンツを脱がされ、性器を暴かれていた。そのたびに泣いていた。

なぜ毎日そんなことをされてもなおいじめっ子と行動を共にしていたのか、今となってはいくつか解釈が思い浮かびはするが、それにしても不思議である。女子の前でフルチンで立たされたことなんかもあった。

昔から女の子と遊ぶことも多かったし、そして「どうして自分は「あちら側」ではないんだろう。「あちら側」だったなら、少なくとも毎日こんな仕打ちは受けずに済んだのに」と思っていた。少なくとも先に示したアンチトランスフェミニストが描く自己肯定感の高い少年像とはまるで違った少年時代を過ごしていた。女子にもいじめを受けていた。中学校のときには実際には送ってないラブレターをでっち上げられ、嘲笑されたりもした。あれは結局誰が犯人だったのかついぞわからない。仲が良かった女子のことも信じられなくなった。

そして何より、わたしはやがてスーツを着て、父親となる自分自身をまったくイメージできなかった。自分の身体が大きくなっていくことは受け入れ難かった。無理なダイエットをし、体重が増えていくことのストレスから、家の体重計を何度も壊してしまった。


そんな誰にも言えない闇を抱えながら進学した。こっそり自分の部屋で女装をし出したのはこの頃だったが、あまりにもその姿は醜く、滑稽に見えた。恋愛対象はその時は女性だった。そのつもりだった。でもわたしはその時は何も自分のことを知らなかったのだ。


極度に自己肯定感が低い若者は、何事も自信が持てない。侮られ、否定されることに慣れてしまい、自分などはこんなに堂々としている周りの人達の中で何も成し遂げることができないに違いない、という想いが強くなった。そして目標も持てなかった。このまま大人になるイメージを持てなかったのである。わたしは、言うなれば、大人の男への成長に失敗したのだ。羽化に失敗した蛹のように死にはしなかったが、精神は病んだ。ODもした。


女性とは一度だけ付き合ったことがある。ただセックスは途中までしかできなかった。セックスとはこうするものだ、ということは知識として知ってはいたが、自分が女性の膣に挿入するにあたり、これは違う、と思った。なんだか突然女性がかわいそうになり、(女性からゴムをつけてきたのにも関わらず)そして次に自分がかわいそうになり、そういう感情が湧いたら、もう腰が抜けてしまったのだ。へなへなと。その場では取り繕ったが、やがてその恋人とは別れた。これがかなり決定的だった。わたしは普通ではないのだ、と。


部屋での女装は続けていた。少しずつ、少しずつ、わたしの女装は上達していた。ネットの女装コミュニティに出入りするようになり、女装で街を歩くようにもなった。怖くて今のようには女子トイレには入れず、かといって男子トイレにも入れない。共用トイレや誰でもトイレを探すのは一苦労だった。

女装コミュニティにいれば、自然と性同一性障害の話も見聞きするようになる。性同一性障害を扱うクリニックの門をはじめて叩いたのは、精神を病んで職を失い、実家に引きこもっていたことの頃のこと。そこで女性として生きる元男性の話を聞いた。勇気づけられる思いがした。わたしはそれからバイトをはじめ、再び一人暮らしをするためにお金を貯めた。伸ばした髪はしょっちゅうバイト先に注意された。

それから少しして、はじめて男性とセックスした。ウィッグをして、化粧をして。女性ホルモンで、胸は少し膨らんでいた。とても楽しくて、女性とするよりずっとリラックスできた。フェラチオなんてとてもできないと思っていたけれど、なんてことはなかった。思ったより無味無臭なおちんちんが、口の中でどんどん硬くなっていくのが、面白くて、なんだかクセになった。


わたしがMからFに移行していく過程は、わたしが自分自身を認め、仲良くなる過程でもあった。もしわたしがトランスしないままでいたなら、最悪の場合、もうこの世にはいなかったのではないかと思う。

もちろん、MtFとして生きることは様々な不便や差別に直面することでもある。就職、引っ越し、役所、病院、そして家族や周囲の目線……MtFは、特にパスできていなければ、世間から性犯罪者と同等の扱いを受けることがある。この点はFtMにない、MtF特有の困難だ。だからこそ、MtFルッキズムを極度に内面化し、整形中毒になったりする。わたしだってそうだ。MtFを、女装した性犯罪者と見分けがつかないという発言をする人は今一度立ち止まって、言われた側の痛みを考えてみて欲しい。



そして、いまは……いろいろ紆余曲折の末、セックスワーカーをしている。一度精神疾患で無職になり、そしてMtFとして生きている人間に、世間は優しくはない。細々とアルバイトで生きていくのは可能かもしれないが、それでは性転換手術費用、整形費用を捻出できない。同じような思いで働いている同業者は決して少なくはない。さまざまなリスクにさらされながら。もちろん、仕事でもプライベートでも性暴力にさらされやすいのはシス女性とかわらない。

と、なんだか御涙頂戴になりそうな感じで書いたけれども、実はわたしはこの仕事はそれなり気に入っている。全然自分がかわいそうだなんて思わない。だって、人からこんなに褒められたのって、存在を認められたのって、仕事を褒められたのって、わたし、これがはじめてだから。それにね、わたしってやっぱり相当淫乱だと思うんだ。まあいわばセックス依存症かもしれないね。あはは。

人生これからどうなるかって、わたしが聞きたいよ。きっとこれから先、楽しいことよりも辛いことの方が、ずっと多いんだろう。死にたくなることもあるに違いないし、うっかり高いビルの上から足を踏み外して死んじゃうかもしれない。それでも、後悔なんてしてないし、これから先もしない。



終わりに

確かにフェミニズムのある観点からすれば、MtFというのは気に入らない存在なのかもしれない。ましてわたしのような存在ならなおさらで、「何が心は女だ」と言いたくなる気持ちはわかる。

(それにしても、この「何が心は女だ」「心が女って?」っていう話はトランスコミュニティではこれまでかなり議論されてきた話で、まあ気に入らないし興味ないんだろうけど、そこまで悪し様に言うなら、少しくらいは本を読むなりググるなりしてほしいものだ)

だけど、もう一度言う。

トランス女性をあなたが気にいるか気に入らないかは別として、トランス女性は存在しているんだ、確かに存在している。

わたしはここにいる。


「トランス女性とやら」

「心は女と自称する者」

有名アカウントにそう言われても、わたしは存在している。ここに。


トイレについて最後に念を押します。

「切らなきゃ女子トイレ入れない」という状況では、性同一性障害で治療、RLE(望む性での社会生活)、埋没、を進めてる人間は性転換手術その時まで戸籍通りのトイレを使わなければならないということになる。これがかなり高い確率で重大なトラブルや人権侵害を生むことはわかってほしい。わかった上で「切るまでトイレに入るな」と主張するならそれはそれでかまわない。

誰でもトイレを増やす案はひとまず改善策にはなるだろうが、現状どう考えても誰でもトイレが足りてない状況で、「誰でもトイレに行け、以上」で済ませるのは、どうなのかね。まあ、MtFってやっぱりそういう風にみられてんだって落ち込んじゃうよね。


冒頭の話に戻りますけどね、そしてこれは誰かMtFさんも言ってましたけど、偏見とか差別心って誰にでもあると思う。でも自分の中の偏見や差別心と向き合って、何かいう前に少しだけ立ち止まって欲しいと思う。とくに影響力のある人にはね。たまんないよ、あんなのにこんなにイイねがついてるなんてって思うもん。やっぱりわたし間違った存在なのかなって思っちゃうもん。


そういうわけで、善良でデリカシーのある、いやむしろありすぎて自分を責めてしまうMtFレズビアンの皆様、冒頭の話のダシに使って本当にすみませんでした。だいたいMtFもいろいろだものね。ごめんね。


存在してるんだもん、仕方ないよ。

わたしもあなたも。



本文章はトランス女性の女性専用スペースの使用について具体的な提案をするものではありません。それはわたしなんかじゃなくて、もっとエライ人が決めてよって話です。

MtFのリアルを理解していて、冷静に、公平な判断を下せる人が。