帰ってきたみふ子の真夜中日記

ちんちんついてる爆乳抜き屋さん。全身課金500まん。一部R18

トランス女性はやめられない


もしかして、わたしのこと?

日々の生活の中でわたしの一番のよろこびはその日のギャラを握りしめてちょっと贅沢なダイニングやバーにおもむき、美味しいご飯とお酒をいただくことです。わたしの仕事は誰かと一緒に出勤したり退勤したりするものではありませんから、だいたいの場合はひとり。一人飲みなんて何が楽しいんだって言ってくる人がいますが、そういう人にわたしは逆に聞きたいんです、ハードな肉体のお仕事が終わったあとに誰に邪魔されることもなく、気を使うこともなく、食べ方を気にすることもなく、美味しいものをいただくことが楽しくなくて人生の何が楽しいのでしょう、と。

ちょっと前に「ワカコ酒」という漫画が流行ったかと思うんですが、本当にあんな感じに「ほ~」としながら飲んでるんです。最初のうちは。

ちょっといいところで飲む理由は、自分へのご褒美をケチりたくないからだけではありません。そういうところには、カウンターで一人、次々飲み食いする風変わりな女に不躾な視線を送る輩はあまりいないのです。

しかしその日は違いました。ふと気まぐれで入ったのは大衆割烹のようながやがやとしたお店。店先にあった立て看板のメニューがとても魅力的だったので入ったのでした。

わたしがカウンターの隅で盃片手に料理をパクついていると、すぐ後ろのテーブル席でドット笑い声が起こったのです。

「久しぶりに見たなぁああいうの」

恐る恐る振り返ると中年男性4人がかなり大きな声で話していたのでした。

(えっ、もしかしてわたしのことかな?)

そう考えると、食べているものの味が急にしなくなりました。さっきまではとても美味しかったのに。お刺身も、煮物も、天ぷらも。ただただ、これも急に味が希薄になった日本酒で押し流すだけです………………


……………普段から女性の姿で生きるMtFの多くが元の性別を読まれること、すなわち「リード」という事態を恐れています。わたしのようなトランス商売をしている(すなわち、仕事で色々な言葉をかけられ慣れている)人間でさえオフではそうなので、そうでない人はなおさらでしょう。リードされていない状態を「パス」しているといい、パスの成否がフルタイムMtFQOL(未オペ、オペ済かかわらず)を大きく左右します。これは現在の日本社会においては事実としてそうなので、多くのトランス女性がそこに自分のリソースを注ぎ込みます。整形、ダイエットなどなど。そこに「個性を大事にする」などという綺麗事は通用しません。

それにしても、トランス女性を「男性の多様性」に包摂させて、トランス女性を解放してあげよう、などといった主張は論外です。繰り返しますが、わざわざホルモン剤で身体を変えてまで生得的な性別を捨てて別の性で生きようとする人間など社会では超少数派です。しかも性に関することですから当然人々の好奇の目にさらされます。その超少数派が男性の多様性に包摂されても、それは当事者が好奇の視線を浴び色物としての生を引き受けることを強いられることを意味するにすぎません。そう、あなた方が言ってることはすべてのトランス女性がオネエと呼ばれたり、「ああ、ああいうオカマ久しぶりに見たなワハハ」などと笑われていた時代に時計を巻き戻すことでしかありません。その上であなた方が「いや、そういう男性がいたっていいと思うよ」と言ったところで、何の救いにもならないのです。それで何か良い提案をしたかのような顔をする傲慢さと無神経さにはほとほと呆れます。呆れたというのはまだまだ穏当な表現でして、わたしはこの手の主張を最初に目にした時、スマホを壁に投げつけそうになるほど激昂しました。 あんたら何もわかってないんだな……

わたしたちの多くが求めていることは、自分の性別を問われずに平穏に暮らすことであり、色物としての生では、性ではないのです。もっとも、わたし個人としては生業においては色物としての生と性をを引き受けていますが……生きるために。そして、わたしも未だに言語化できていない「何か」のために……………


あとどこを整形すればいいのだろう……と思いながら、まったく味のしないご馳走を食べていると、後ろからまた声が聞こえてきます。

「いやあ、あの扱いはビックリしたよ」

「そうそう、まるで……

どうやらわたしのことを言っていたのではなかったようです。そう確信できると、食べ物の味が再び戻ってきました。美味しい。あれもこれも、素敵だ。皿はあっという間に空になります。わたしは鈴を鳴らして店員さんを呼びます。

「えっと、馬刺しと、ふろふき大根と、生ウニと、辛子蓮根、それと芋のロックと……

「お姉さん、よく食うねえ」

「わたし、結構底なしなんで」

そうして来た皿もすべて平らげると、わたしはトイレに行きます。便器の中蓋を上げるのは立ち小便をするからではもちろんありません。便器に顔を突っ込み、人差し指と中指で喉の奥を突くと、たちどころに先ほど喉を通り抜けた食べ物が逆流して、便器の中へ流れていきます……


もう一度、そして願わくば最後の「お風呂問題」

繰り返しますが、平穏に過ごすことを願うトランス女性にとって、一番ストレスフルな状況とは「自分の元の性別がその場の話題になる」ことです。だとすれば、ペニスがついたまま女湯に入るという行為は、多くの未オペMtFにとってむしろ一番考えられない行為なのです。

なぜ、この話を蒸し返すかというと、某所でのとある極めて愚かな元国会議員の発言があり、それがSNSで波紋を広げたからなのですが、これは一部の反トランスグループ(もうフェミニストと呼ぶのは当方の判断によりやめます)の声が無批判に、きわめて利用しやすい形で、「拾われた」結果だとわたしは思っています。

よろしい、ならばわたしは語りましょう。トランス女性にとっての公衆浴場とはどんなものなのかを。ただし、願わくばこれを最後にしてほしい。トランス女性のペニスの話を堂々としていいのは、本来ニューハーフ風俗店か、トランス女性とその恋人の間柄だけだとわたしは思います。本当に、本当に、いい加減にして欲しい。こんなに失礼なことはない。

わたしは長年のホルモン投与で女性に近い体つきをしており、さらに豊胸手術もしています。その身体にペニスがついている、というなんとも奇怪な身体の持ち主です。温泉旅館は大好きでよく泊まりに行きますが、その時は必ず貸切風呂のある宿に泊まり、追加料金を払って貸切風呂に入ります。まあ、お金はかかりますが、温泉独り占め~……と満喫してますのでね。フン、それくらいケチらないんだよ。

それとあと、男性グループの中の紅一点(?)として男湯に入ったこともあります。この身体でね。これはきわめて特殊な、わたし特有の事情があったので詳細は明かせませんが、とにかく視線に晒されました。まあ並のメンタルでは守ってくれる人たちがいなければ無理だろうなと思います。それはどうだっていい話なのですが、ここで話題にしたいのはわたしがどちらの湯に入るかを誰が決めているかということなのです。

あまりにも当たり前すぎる答えをいいます。施設側です。わたしでもなければ他の客でもありません。わたしは最初は係員に女性側の湯を案内されそうになりましたが、係員に体のことを伝えて、その結果男湯への案内となりました。係員さんはとても申し訳なさそうな顔をしていましたが、わたしは最初からそのつもりだったからと伝えました。すると、係員さんはわたしに特別に大きなバスタオルを貸してくれました。これで身体を隠してくださいということです。

おわかりでしょうか。「女湯に入ってくるペニス付きトランス女性」というきわめて粗雑なイメージは、現実世界においてはそれを許容する公衆入浴施設がなければ成り立ちません。そして、そういったことをオープンにしている入浴施設は現実にはありません。もし「女湯に入ってくるペニス付きトランス女性」について議論したいならば、その前に、「それを許す入浴施設」について議論すべきです。しかしそんな入浴施設がすくなくとも現実にいま存在するのでしょうか?(存在したっていいと思いますが。嫌な人は他の施設にいけばいい話ですから。)性犯罪者は施設側の許可など取らずに入ってくる?いい加減にしてください。それはトランス女性の話ではありません!


わたしたちが何をしたというのか

わたしは性暴力サバイバーの男性器への恐怖を理解するものであるつもりです。その一方でわたしは男性器をいま現在有しながら女性としての暮らしを望むものです。ですから、わたしは男性器をひたすらに恐れる方が、トランス女性を拒絶する言説を流すのを見ては、「それは違う」と強く思う一方で、「君たちがそう思うのなら仕方がない。死ねばいいんだろ、死ねば」と投げやりな思いを抱くこともあります。

しかしやはりそれはおかしい。なぜわたしが死ななければいけない。わたしは存在している。たしかに存在している。

おそろしく解像度の粗い「恐怖」によって自分の存在を否定されることには断固として抵抗しなければならない。なぜそんなつまらない(と言わせてもらうよ)もののために死ななくてはならない?

トランス女性のヘルパーを受け入れがたいという女性のブログも拝見致しました。それならわたしは、これこれこういう理由で個人的に受け入れがたい旨を個別に事業者に伝えていいと思います。しかし、事業者に対してトランス女性を雇用するなとクレームを入れることは差別に当たると思います。ヘルパーは業務中にパンツを脱がないはずですから。

個別対応で間に合うはずのことを属性全体に広げていませんか?わたしが、あなたに何をしたというのですか……

仮定の話はもうたくさんです。


「トランス女性」はやめられない

仮定の話や海外の極端な事例をもってしてトランス女性への恐怖や否定を煽るアカウントはやはり時計の針を逆に回したいのでしょうか。

たとえ何と言われようとも、わたしは明日からホルモン剤の注射をやめ、男性として生きていくことを絶対に拒否します。そして、たとえ将来性転換手術をしても、自分は性転換手術によって女性になったのだという事実は消せません。トランス女性であることはやめられないのです。

いま、現実に存在する人間へのヘイトをやめてください。それはそんなに難しいことですか?